ミュージカル『アルジャーノンに花束を』を観てきた日記

ミュージカル「アルジャーノンに花束を」を観てきました。めっっっちゃ良かった。

ミュージカル自体もすごく良かったし、「ミュージカルに行った」体験自体もす~~ごく良かった!ので日記を書きます。

 

舞台とかミュージカルに類するものに行ったのは小学校だか中学校だかの行事で「ライオンキング」を観た一回きりで、(その時の記憶もシンバが舞台袖に向かってターザンして戻ってきたら大人になっちゃった……とショックを受けたことくらいしかない)体感的には実質初めての鑑賞だった。というか自分でチケットを買ってミュージカルに行くこと自体が初めてだわ。

鑑賞ド初心者ゆえに、なんか失礼なことがあったらどうしよう?と、家を出てから電車に乗って座席に座って幕が上がるまでに至って、ずーーーっとドキドキしていた。小心者だから……

結局、怒られが発生する事態もなく、「すごくよかった!!楽しかった~!!」の気持ちで劇場を出られたのでHAPPY!!

 

行ってみようと思ったきっかけ

ミュージカルのどこが良かったかという話なんだけど、一から順を追って話さないとわけわからなくなるのでミュージカルに行ったきっかけから書く。

一言で言えば、SFマガジンのインタビュー記事を読んだから。今月号のSFマガジンの特集が、藤子・F・不二雄のSF短編だったので、買ったことのない雑誌だけどのこのこ買った。ファンなので。そこにミュージカル『アルジャーノンに花束を』のインタビューがあった。主演の浦井さんのものだった。

 『アルジャーノンに花束を』は原作を読んだことがあり、とても好きな小説だ。翻訳小説は日本語に違和感があって読みづらい、と今よりずっと翻訳小説を敬遠していた頃に読んで、衝撃を受けた。読みやすく、おもしろく、チャーリーの知能の上昇と比例した日本語表現に度肝を抜かれた。日本語でしか表現できない物語では?とすら思い、読んだ後に「原語ではどうなっているのだろう」と調べた記憶がある。

 インタビューには浦井さんが何回もチャーリーを演じて、このミュージカルがライフワークとなっている旨の発言があった。最後には舞台の概要があり、開催期間はGW最終日までとあった。その時点では「ふーん」くらいの軽いリアクションで行くともなんとも思っていなかったのだけど、気が向いて公式ホームページを見に行ったら、もう、すごく驚いた。アルジャーノン役の役者さんがいたからだ。(ミュージカルのお作法を知らないのでめちゃくちゃ失礼なことを言ってしまうようだけど)アルジャーノンって……ネズミだよね!?一言も喋らないよね!?人間が演じるって……何!?と頭の中が「???」だらけになって、気になって気になって、なんとか都合をつけて観に行った。

 観に行った結論として、人間の役者さんが演じる意味はめちゃくちゃあったので、本当に行けてよかった。「何!?」って思ったまま観に行かずじまいだったら勿体なかったもんな〜。

 

 

ここまで書いて体力が切れた。

らちがあかなくなってきたのでここからは箇条書き。

ミュージカルの感想

前半:

・一番後ろの座席だったので、スポットライトが頭の上から出ているのが見えておお〜!となった。スポットライトを浴びる、って比喩表現としてよく使われるけど、あのライトを浴びている人は舞台の上での主役なんだというのが肌感覚で伝わってきて、こういうことなのかと腑に落ちた。

・術後に一度だけ出てきた看護婦さんの歌がとても上手くて綺麗でぞわぞわした。教会で聖歌を聞いた体験は無いけれど、こんな感じなのかもしれない。敬虔さと神聖さと美しさと……。とても艶のある声で素敵だった。あとで役者さんを調べよう。

・チャーリーが本当に「チャーリー・ゴードン」その人で、演者さんの存在を忘れてしまう。でもあそこにいるのはチャーリーだった……。それだけ真に迫った演技だったということなんだろうな。

・情報処理能力が無さすぎて分かってないだけなんだけど、大道具が動いたりライトが変化したりでいつの間に場面が変わっていて、すごっ!!と思った(IQの低すぎる感想)

・休憩前に幕が下がるときに拍手が起こって、あっここで拍手するんだ!って慌てて拍手した。

幕間(余談)

・トイレがものすごい長蛇の列だった。そうだよな〜!休憩時間ありがたい。

・前半の途中から、前の席に前のめりのお客さんが来て、舞台の左端が見えねえ……!!になってわりと困ってたんだけど、私の隣の席の上品なマダムが注意してくれてとても助かった。後でこっそりお礼を言った。貴方のおかげで楽しく劇場を出られました。ありがとうございます。

後半:

・彼の知能の上昇がピークを迎えて、彼の記憶が奥へ奥へと掘り下げられて、家族から受けた扱いについて思い出すところがやはり見ていて辛い。誰も悪くないはずなのに、歯車が狂っていく怖さとやりきれなさに胸が痛くなって、後半はずっとハンカチを握りしめていた。

・もともとの彼も内心では苦しんでいるのに、その苦しみを表す言葉も苦しみを逃がす手段も分からず、自己防衛として笑顔を作っていたのが……辛いな……。

・彼の「賢くなりたい」は「誰かに認められたい」「友だちがほしい」という切望から始まっているのに、賢くなってかえって孤独になっていくの、皮肉で悲しいな……。もともとの彼はパン屋さんの人々を「好い人たち」と捉えていたけれど、彼にとってパン屋の人々は「認めてくれる誰か」でも「友だち」でもなかったんだな。そうでなきゃ手術を受けたりしないもんね。心の奥底か本能で、自分をばかにしているぞ、対等じゃないぞ、って気がついていたのかもしれない。

・終盤の、アリスとチャーリーが寄り添っているところに、アルジャーノンがチャーリーのぐっと手を引いて、チャーリーの知能が決定的に下がるシーンがとても印象深かった。先に手術を受けて亡くなったアルジャーノン(あるいは、もともとの「チャーリー・ゴードン」)が、天才的頭脳を持った「チャーリー・ゴードン」に引導を渡した瞬間のようにも見えた。示唆に富んだ良いシーンだったな。このシーンだけで色々考えちゃう。

・ラストの何とも言いがたい余韻が良い。小説を読んだ当時、この物語は結局どういう話なのだろうと考えた覚えがある。「何もわからない方が幸せだよね」なのか、「頭が良いと見えなかったものが見えるよね」なのか、どちらの生き方を肯定しているの?と考え込んだ気がする。当時は、物語にテーマとか結論が無いといけないと思ってたんだよね。今はテーマも結論も物語の成立に必要不可欠ではないと思っているので、どっちがいいか、みたいな考えには陥らないけど、それでも、この物語って何だったのかな、って気持ちは今回もわいてきた。昔の私が陥ったような二元論的思考も、実験動物であるアルジャーノンとチャーリーを重ねることで命の大切さを描いたのも、この物語の要素ではあるんだけど、それだけじゃなくて……なんだろう。雲をつかむような感覚のままでものを言っちゃうんだけど、あれは人と人とのコミュニケーションの話だったのかもしれない。チャーリーの性質が災いして家族のなかでエラーが起きたり、片やアリスのように深く理解を示してくれる人がいたり、コミュニケーションのために言葉を手に入れたかと思えばどんどん周りの人はいなくなっていって……っていう、(最大公約数的な表現になってしまうけど)人と人のコミュニケーションのままならなさがずっと描かれているようにも感じた。

・アリスは最初から最後まで慈愛深くチャーリーを見守ってくれていて、このひとがいればチャーリーはそれで良かったんじゃないかなあと思ってしまう。アリスがあの実験の被検体にと薦めたという経緯はあるにしろ、一番の理解者だったよね……。

 

・終わった後、役者さんが出てこられた時に何故か泣きそうになった。理由はよくわからないけど。今まで「役」そのものだと思っていた人たちが生身の人間だったことに気付いたから……?本当に何でかわからん。

・カーテンコールで浦井さんがこの物語から学んだことについて、「人と関わるのを恐れないこと」という旨の発言をしてらして、腑に落ちたような安心したような気持ちになった。

・「割れんばかりの拍手」という比喩表現も理解した。あれは確かに割れてる。

・役者さんが退場の時に舞台に敬意を示すような仕草をしていたのだけれど、高校球児がグラウンドの出入りの時に礼をするのと同じ意味合いなのかな?

 

その他もろもろ、まとめ

こうして書き出してみて分かるけども、記憶がすごく!!消えてる!!!

 

観ている間は色んなことを考えて観てた気がするんだけどな。泡のごとく消えて浮かんでいった。でも、それはリアルタイムだからこそ生まれていた感情や考えだったんだろうし、物語のライブ感をあの場で楽しんだな〜!って記憶が残ってれば良いのかもしれない。

 

アルジャーノンもすごく良かった……!!トーンが暗くなりがちのお話のコメディリリーフとしての役割も、「もうひとりのチャーリー」としての役割も、このミュージカルに必要不可欠だった。特に後者の役割がすごい。母に虐待を受けるシーンとか、上で書いたチャーリーの知能が決定的に下がるシーンとか。

最初はチャーリーの知能の上昇を示すメタファーとして登場しているのかと思っていた(ある意味ではそうなのかも)けど、「もともとのチャーリー・ゴードン」そのものとしてチャーリーを見ていたのか、と後から腑に落ちるシーンがいくつかあった。(間違ってるかもしれないが……)個人的には、タオル?白いふわふわ?をメスのマウスに見立てているところが面白いなと思った。

 

原作ではチャーリーの内側から見た一人称の物語が展開されるけれど、ミュージカルではそれをチャーリーの外側から見た三人称の物語に再構築されていて、心の底からの「凄いな」が出た。観る前、『アルジャーノンに花束を』は知能の上昇下降が文字で表現できる小説ならではの物語だと思っていたので、ミュージカルではどう表現するのかとても楽しみにしていた。

チャーリーから見た景色だけでなく、アリスを中心としたもうひとつの物語も見えてきて、原作の奥行きを深めるようなつくりになっていて、感動した……再構成力がすげ~~……。

 

話はずれるけど、一人称小説とミュージカルは意外と親和性が高いのかもしれない。一人称小説にはよくある主人公の内省的な地の文を、ミュージカルは歌で表現するから単調にならないんだよね。全然飽きなかった。

 

ミュージカル外のことだけど、帰りのざわざわした雰囲気も楽しかった。舞台に一家言ありそうなお姉さまがたの感想やご意見が耳に入ってくるのも良かった。こうやって誰かと一緒に行って感想を言い合うのも、一人で感想を噛み締めるのも、どっちも楽しいんだろうな。

 

書いている間に日付を越えてしまった。なんでだ!?

誰に見せることも想定していない乱文なのでめちゃくちゃかもしれない。めちゃくちゃだな。多分。

 

もしここまで読んでくれた方いたら、ありがとうございます。ミュージカル楽しかったです。また行きたい。